――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<ルネサンスへ<2013-1118-13
世界というのを、歴史的に見て初めて、 ものごとの内的関連性といったものが、見えてくる。 そしてそれの、抽象化された本質といったものも、 理解できることになる。 反対に、このような抽象化されることのない、 意識の中にあっては、歴史は不要であり、 興味のない、どうでもよいことになってしまう。 時間の流れ、過去と現在といったものは、 何の因果関係も、 何のつながりもないものになってしまう。 だから、歴史というのは存在しない。 自らの歴史を記録するということは、 このような、抽象化する能力を待って、 初めて可能となるのである。 原始家族や氏族といった、 社会としての共同体が形成され、 その全体としての意志と、 共有意識の必要が生まれたとき、それは、、 目に見えないものをつかもうとする、祈りであって、 それが神話や宗教として、心の中に現れてくる。 それが、何かのイメージとして意識されると、 踊りとして、あるいは彫像や絵画として表現される。 あるいはまた、その神殿での誓いや祈りの儀式となる。 そして、神話はやがて物語として言い伝えられる。 そしてそれが、歴史として記録されてゆくのは、 ずっと後のことである。 共有意識とは、 現実の自分と対立する、観念的な自己の精神である。 自己の精神というのが、 個人的なものと、社会的なものに分裂したのである。 事実、それは原始宗教とか、 神話の伝承として伝えられている。 それは、祈りと恐れの世界であると共に、 神々(又は悪霊)の世界である。 |