――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<ルネサンスへ<2013-1118-12
日本の紅葉は、その乾燥というところに、 特徴があるように思える。 もちろん、景勝地とか観光地に見る紅葉は、 たいてい、滝とか川に囲まれていて、 乾燥という感じがしない。 がしかし、普通見る山々の紅葉は、 やはり乾燥している。 紅葉そのものに潤いというのがないのである。 当たり前です。 潤(うるお)いがないというのが、 紅葉なのですから。 これが、春の色とは本質的に異なる、 秋の色の世界である。 そして、この自然の潤いというのを、 全く無視しても、やはり心に満ちてくるものがある。 内向的なのである。 これはまた、春の気分のあり方とは、 本質的に異なる。正反対である。 春は出ようとしているというか、 ほのぼのと開いて来るのである。 外に向かうのである。 そして、春の特徴は乾燥ではなくて、潤いである。 秋は、潤いが消えてゆくのであるが、 春は、消えていた潤いが増してくるのである。 生命が眠り始める秋。 そして、生命が目覚め始める春。 乾燥でカサカサの秋。 そして、潤いと水を含んだ春。 地上はまだ温かいのに、 冷たい乾燥した北風の秋。 地上は冷たく凍りついたままなのに、 温かい湿気た南風の春。 秋の訪れは、この北風と共にやってくる。 春の訪れは、この南風と共にやってくる。 いまから凍り始める、秋。 いまから解け始める、春。 なにから何まで正反対なのであるが、 天気予報の、温度と湿度は同じなのである。 では、いったい何が違うのだろうか? 温度と湿度の、 その方向が反対だということなのである。 始めと終わりが、 ちょうど反対になっているのである 最後に、 いったい何が言いたかったのかというと ものごとには、 それが指向する「方向性」というのがあって、 その場面だけを見てもわからない、 ということである。時間的に歴史的に、 その変化のさまを見てゆかなければ、 わからないということである。 |