白い朝もやの、深い霧の中から、
いろんな色をした花びらが浮かび上がってくる。
まるで、空中を漂うシャボン玉のようにも見える。

赤・青・緑、そして黄色。
この黄色はきっと僕の色だ。
それは、祈りであり、あこがれである。
かぼそく、ひよわで、今にも白い背景の中で
消えてしまいそうな、そんな色だ。
しかし、いつまでも、どこまでも、
ずっとそうであり続ける、そんな色だ。
それはきっと、タマシイといったものが、
花びらとなって、そしていろんな色となって、
浮かんできて舞っているのだ。
詩人のタマシイが花びらとなって、色となって、
ささやいているのだ。
朝の霧のかすんでぼやけた、深いまどろみの中から。
朝の光が花びらを照らし、
さまざまな色に映し出す。まるで万華鏡のように。
そして、この花びらも、朝の光も、
一瞬の出来事なのだ。
花びらは舞い、朝日はやがて昼となり夜となる。
このような束の間の出来事。
まるで幻のような輝き。それは人生そのもの。
だれもが、そうやって生まれ、生きて輝き、
そして老いて死にゆく。
輝きも、長く続くとウンザリする。
束の間の、一瞬の幻のような輝きがよい。
「生きている」というのは、
アンソロジー(詩集)なのだ。 |