――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<ルネサンスへ<2013-1121-3
自意識とは、 自分と対象との直接的関係ではなくて、 客観的で第三者的な態度、 つまり、自分というのを、 他人のように見ている自分のことである。 この時点で、自分というのが、現実の自分と、 それを見つめている、 観念的な自分とに分裂している。 現実のものごとを抽象的に見るというのは、 このことであって、現実の外にある、 観念の世界から現実を見ているのである。 そしてまた、だからこそ現実がよく見える。 現実の、見えないところがよく見えるのである。 その内的な因果関係や共通性、あるいは異質で偶然なもの、 または必然性といったもの。そうした、 一般化された、内的な関係性がよく見えてくる。 このような、現実世界に対峙する、 識別や認識といったものが、 思考による現実の抽象化である。 このような、自分を意識する自分、 自分を対象化する自分とは、 驚きであり恐怖である。 自分がだれかわからず、いったい何者で、 何をしょうとしているのか、自分でもわからない。 どうしてよいかわからず、何かをなす術もない。 いったい、どうしろというのだろう? 自分を見ている自分におののき、叫び、 祈り続けるしかない。 だから祈り、問い続けていかねばならない。 自己意識とは、まさにこうした衝動、 本能的な指向性といったものではないだろうか。 いたたまれず、わけもわからず、 自分でも、どうにもならないことなのである。 心の奥底の裂け目から聞こえてくる、 きしみとか、苦悶の音なのである。 それが、揺れて喘(あえ)ぎながらコダマするのである。 |