index(索引)ルネサンスへ2013-1018-a



群れの、② ターゲット。

群れであるためには、それ以前に、
群れでない者がいなければならない。
これが前提である。だからなにがなんでも、
仲間でない者を、見つけ出さなければならない。
あぶり出し、仕立てあげなければならない。
だれでもよい。ただし、少数派でなければならない。

相手が多数派だと、
反対に自分がやられる恐れがある。それに、
そんなヤバイことに、だれもついてこないのである。
だから、いたぶる相手、自分たちの仲間でないものは、
あくまで、群れの中の弱者でなければならない。
と同時に、それがすぐにバレるようではダメで、
だから、なんらかの、もっともらしい理由が必要である。
それも、逃げることも、避けることもできない、どうにもならない、
いわば、「生まれつき」のものでなければならない。

そして、理屈ではダメだ。
理屈では勝ち目がないのである。
だから理屈でない、文句のつけようのない、
ありのままの、存在がそうでなければならない。
つまり、「生まれ」がそうでなければならないのである。
だから、ターゲットは部落・在日・障害者となる。
ターゲットとしては障害者がもっとも手ごろである。
体力が弱く、かつ組織化されていないからである。
報復を受ける心配がないからである。そうやって、
自分の存在の根拠と理由が確かめられ、正当化される。

自分は世の中の、上でも下でもなく、そして表向きは、
もっとも目立たない中間の平凡な普通の人間であって、
だから義務も権利もなく、安全で安定していて、なにをやっても、
表面上だけ、みんなと同じである限り、許されると思えてくる。
そして、実際、その通りなのである。だれもかも、
みんながそうなのだから。だから、それが許されるし、
気になることもないし、自分の良心に苦しむこともないのである。
そもそも、自分自身というのが存在しないのである。表面上、
みんなと同じであること、これが、日本社会の原理なのである。
それ以外のところでは、なにをやってもかまわないのである。
また、そうでないと、日本というシステムは成り立たないのである。

 戻る。                     続く。

index(索引)ルネサンスへ   先頭へ