群れの、② ターゲット。
群れであるためには、それ以前に、 群れでない者がいなければならない。 これが前提である。だからなにがなんでも、 仲間でない者を、見つけ出さなければならない。 あぶり出し、仕立てあげなければならない。 だれでもよい。ただし、少数派でなければならない。 相手が多数派だと、 反対に自分がやられる恐れがある。それに、 そんなヤバイことに、だれもついてこないのである。 だから、いたぶる相手、自分たちの仲間でないものは、 あくまで、群れの中の弱者でなければならない。 と同時に、それがすぐにバレるようではダメで、 だから、なんらかの、もっともらしい理由が必要である。 それも、逃げることも、避けることもできない、どうにもならない、 いわば、「生まれつき」のものでなければならない。 そして、理屈ではダメだ。 理屈では勝ち目がないのである。 だから理屈でない、文句のつけようのない、 ありのままの、存在がそうでなければならない。 つまり、「生まれ」がそうでなければならないのである。 だから、ターゲットは部落・在日・障害者となる。 ターゲットとしては障害者がもっとも手ごろである。 体力が弱く、かつ組織化されていないからである。 報復を受ける心配がないからである。そうやって、 自分の存在の根拠と理由が確かめられ、正当化される。 自分は世の中の、上でも下でもなく、そして表向きは、 もっとも目立たない中間の平凡な普通の人間であって、 だから義務も権利もなく、安全で安定していて、なにをやっても、 表面上だけ、みんなと同じである限り、許されると思えてくる。 そして、実際、その通りなのである。だれもかも、 みんながそうなのだから。だから、それが許されるし、 気になることもないし、自分の良心に苦しむこともないのである。 そもそも、自分自身というのが存在しないのである。表面上、 みんなと同じであること、これが、日本社会の原理なのである。 それ以外のところでは、なにをやってもかまわないのである。 また、そうでないと、日本というシステムは成り立たないのである。 |