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 グラデーション。


③ウンザリ。


そして、それが自然科学であれば、抽象化された自然法則や、
それらのなかにある関連性を記述した、理論を扱う。純粋理論、
基礎理論などがそうである。学問のための学問である。
それは、現実の実際の感覚から切り離されたもので、
現実の実用や実践から見ると、
まったく無用の不必要なものである。これが、
純粋理論、学問のための学問といわれているものである。

そして、それがまた、純粋学問というのが、
東アジア(中国・韓国・日本)では見られない。
歴史上、ついに現れることがなかった。それは、
東アジアのシステムとあいいれないないものだったのである。
東アジアのシステムからすると、その根幹を揺るがす、
異質で破壊的な「考え方」だったのである。

純粋学問の根底にあるのは、
自己意識というもので、それが、
ヨーロッパ、キリスト教の特徴なのであって、
東アジアにはないものなのである。
例えば、日本ではそれが、
協調性という「和」のなかで、
個というのが、眠ったままの状態なのである。

だから、そこからまた、プライバシーや人権、
人格や個性といったものが、
ことばだけの、頭のなかだけでとらえられ、
現実から離れていく。自分の経験や記憶、
生き方として、とらえられることがないのである
市役所や市民センターで、
人権、人権と執拗にくりかえし、
標語や講座や催し物で大々的に宣伝され、
それで、理解できたと思えてくるのである。

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