index(索引)<ルネサンスへ<2013-1018-c
グラデーション。
③ウンザリ。
そして、それが自然科学であれば、抽象化された自然法則や、 それらのなかにある関連性を記述した、理論を扱う。純粋理論、 基礎理論などがそうである。学問のための学問である。 それは、現実の実際の感覚から切り離されたもので、 現実の実用や実践から見ると、 まったく無用の不必要なものである。これが、 純粋理論、学問のための学問といわれているものである。 そして、それがまた、純粋学問というのが、 東アジア(中国・韓国・日本)では見られない。 歴史上、ついに現れることがなかった。それは、 東アジアのシステムとあいいれないないものだったのである。 東アジアのシステムからすると、その根幹を揺るがす、 異質で破壊的な「考え方」だったのである。 純粋学問の根底にあるのは、 自己意識というもので、それが、 ヨーロッパ、キリスト教の特徴なのであって、 東アジアにはないものなのである。 例えば、日本ではそれが、 協調性という「和」のなかで、 個というのが、眠ったままの状態なのである。 だから、そこからまた、プライバシーや人権、 人格や個性といったものが、 ことばだけの、頭のなかだけでとらえられ、 現実から離れていく。自分の経験や記憶、 生き方として、とらえられることがないのである 市役所や市民センターで、 人権、人権と執拗にくりかえし、 標語や講座や催し物で大々的に宣伝され、 それで、理解できたと思えてくるのである。 |