ルネサンスへ<2014-1212 わがまま。 ( 市)
こうしたことは現実にも、実際にもよくあることで、ありのままに言うと、 それがすべてであるといってよい。私たちが現実に見ている世界 そのままである。そうやって現実の世界は成り立っていて、そうやって 社会は動いている。なんだかんだといっても結局はコネと談合だけ なのである。これが島国日本の真実の姿なのである。 人間は生きてゆかなければならず、そのためには社会に入って ゆかなければならず、入って行って、自分の居場所と役割を 得なければならない。そのためにはどんなことでもするし、 しなければならず、そしてまた社会も、自分自身も、 それを正当化してくれるのである。 正しい考えや行為というのはこのことなのであり、 これがまた、正義なのである。日本社会における正義とは、 目上と目下の上下関係であり、そのためのシツケを意味している。 このような理性と論理の一貫性が、あくまでも、どこまでも、 絶対的に自己を貫き通すのである。それがこの社会のキズナであり、 倫理であり、絶対的で神聖不可侵のオキテ(戒律)なのである それはまた、東アジア儒教社会の特徴となっている。 個というのが存在せず、集団の中に理没し、 道徳や正義といったもの、倫理やキズナ(絆)といったものが、 外から人間を強制的に縛り続けるのである。 身動き出来ないようにして、押し殺してゆくのである。 個人の自立の余地はない。社会の原理としても、システムとしても、 その必然性としても、成り立ち得ないのである。 従ってまた、本来の意味での人権やプライバシー、人格の概念は 存在しない。 戻る。 お終い。 |