ルネサンスへ<2015-0123 永遠、(  市)



① 疲れた。

ホント疲れる。目の前の道や壁、
靴やゴハンや、ノートや、
その他なんでも、いろんなもの・・・。
それらが、まるでタマシイをもった生き物のように、
思えてくるのである。何かが潜んでいる。

沈んで隠れて閉じこもって、
表へ出る機会をうかがっている。
それどころか、脳ミソの中の空想ですら、
そう思えてくる。何か目に見えない糸で、
論理とか考え方がつながっていて、
それが、何かのキッカケでめざめようとしている。
それらすべてが、自分自身の分身のように思えてくる。

自己が分裂している。
外の世界に僕のタマシイが、乗り移ろうとしている。
自分が、自分の証明を求めて、さ迷い出ている。
それらすべてを含むもの、例えば空気。
イヤ、むしろ光だ。
光が、現実のすべてに、カタチと色を与えて、
映し出している。それも、
場面場面に応じて変化する。

この変化とは、自己のタマシイそのものだ。
自分で自分のことが、よくわからないのである。
だから様々に変化して、現実の見え方の変化の中で、
自分をさがすことになる。自分とは、
こうした変化の中を生きる、幻なのである。
論理が世界を支配している。東洋風にいうと、
タマシイ(魂)が世界を支配している。


   戻る。                  続く。


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