( 市)ルネサンスへ<2015-0206-a-1 情感のふるさと、
① 座標軸。
もはや、どうでもよいのである。現実のなかで、 感覚が何かに身を任せて漂っている状態。 いまだ、意識にまで達することのない、 感覚の鈍感さ。そして、意識を包む、 ぼんやりした感覚のあいまいさ。こうした状態は、 意識と感覚の主観的な座標軸であって、 それが、絶対的ゼロの状態を指している。 それが標準であり、基準なのである。 それは、情感というのが、 もっとも安定した状態にあるのであって、 この状態からの変化を望まないのである。 だから、居心地がよいし、 多少意にそわないことがあっても気にならないし、 そんなことは、どうでもよいことのように思えてくるのである。 現実に生きている自分というのが、 何かふんわりしたクッションの中で、 浮かんで漂っている感じである。 例えば、西洋ではそれを「エデンの園」といい、 東洋では、「桃源郷」と言っている。 いうなれば、自己の感覚と情緒のふるさとである。 戻る。 続く。 |