見るもの、聞くもの、触れるもの、
そうした自分の感覚のすべてが、
だれか見知らぬ者の、
精神の表現のように思えてきて、
自分に迫ってくる。
なにかいい知れぬ運命のように思えてきて、
ひきずり込まれてゆく。
そのように、思えて来るというのは、
自分の精神の中で、それを求め、
それを必要としているからである。
だから、そのように感じられてくるのである。
それは、自分の精神が、
自分のなかで反射して映しだした、
自分の精神のすがたである。
なぜ、そのように見えるかというと、
それが、自分と外の世界(自然)との
かかわり方だからである。
戻る。 続く。 |