(  市)ルネサンスへ<2015-0306 同一性、



1:形式。

カタチを思考によってとらえて一般化すると、
形式として見える。たしかに、
表面的な形式だけがよく見える。
人間が実際に見えるのは、もののカタチ、
形式しかないからである。そして、
この形式から内面へと入ってゆくことになる。

様々な文化の様式にしても、
そこに生きる人間の行動パターンにしても、
けっして形式だけでは済まされない、
なにかを持っている。

外から見える体制やタテマエもそうである。
自分にとって都合の悪い、「偶然」に際しての、
対応の仕方もそうである。そしてまた、
その秩序のあり方も、そうといえる。
「形式」だけでは、やってゆけないのである。

たしかに形式であることによって、
画一化、規格化、均一化を進め、
処理と秩序といったものの能率を高め、
効率をよくする。形式のこのような外面性は、
ものごとの内面というものを無視するもので、
内実におかまいなく、外面だけでものごとの
良し悪しを判断する。

そうやって、際限なく内実が失われてゆき、
内容が伴わずに消えてゆく。カラッポで、むなしく、
意味のないものへと変質してゆく。
現実に合わないものになってゆく。

     戻る。             続く。


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