( 市)ルネサンスへ<2015-0424-b 夢の背景色、
5:不可解な理由。
ただし、ここで注意し、 明確にクギをさしておかなければならないことがある。 それは、記憶とは必ずしも、意識としてのみ、 思いだされるものではない、ということである。 意識でも、論理のつながりでも、思考でもなくて、 ただたんに、肉体の生理作用としてのみ、 思いだされてくることがある、ということである。 意識でも、思考でもなく、そこまで達することのない、 自己の肉体の感覚だけがもつ、感覚自体のリズムや抑揚、 衝撃や、抑えることのできない情緒や情感の、 生理作用として思いだされることがある、ということである。 だから、そうした場合は、記憶のカタチというのがなく、 言葉とか、論理とか、それらの何らかの場面として、 思いだされることがないのでる。 まったく不可解で、不思議で、 自分でも理解不能な感覚として、思いだされてくるのである。 理屈も意識も届くことがない、感覚自体がもつ感覚として、 思いだされてくるのである。自分の意識を無視した、 肉体自身がもつ記憶として、思いだされてくるのでる。 これが、理由なき記憶の世界、 自己の意識から分離独立してしまった、 肉体の記憶の世界である。そうしたことがあるのである。 記憶とは、何も、意識とか思考の世界に限らないのである。 自分でもどうにもならない、 意識することのできない記憶もあるのである。 |