(  市)ルネサンスへ<2015-0522 様式、



6:桜の花。



そして島国日本は狭く息苦しく、
周りと少しでも違うことをして、
波風をおこしたりできないのである。
文化的にも同一民族が、空間的にも、
歴史的にも隔離され、固定されたままの
静止した世界なのである。

そこからまた、日本人特有の几帳面さ、集団的規律や
他人を思いやる心情、気質といったものは、
先に述べた、日本の自然環境と密接に、むすびついていると、
言わざるを得ないのである。

春の桜の花見もそうである。
冬が終わり、めざめと再生の春がやってくる。
だれもが同じ日本人であり、人間なのである。
人間とは、日本においては日本人のことなのである。
心と気持ちを新たに、だれもが、すべてが「ゼロ」から始まる。

だから、咲くのも同じで、散るのも同じ。いっせいに咲き、
そして、いっせいに散ってゆく。そして、咲いている期間も、
他のどの花よりも短い。それでよいのだ。
それは夢か幻なのだから。それは死んでいった者たちへの、
鎮魂の儀式でもあり、新たな再生とめざめの象徴なのだから。
だから、花見は祭りなのだ。何もかも忘れて酔い、歌い、
踊るのである。

 戻る。                 お終い。
ルネサンスへ