( 市)ルネサンスへ<2015-0605-a 閉じた世界、
2:シアワセ。
学校や会社、地域社会も同じことが言える。人間というのが、 自分を見失って、他人にすがって生きていこうとする限り、 支配と隷属の関係は存続する。また、そうである限り、 無いものを有るといい、有るものを無いと言い続けなければならない。 なぜなら、それが支配と隷属の関係だからである。 自分の考えも意思もない。 したがって、自分自身の内面に悩み苦しむこともない。 そもそも、自分の責任とか権利といったものがない。 自分が死ぬも生きるも、他人まかせだからである。 これほど気楽で、幸せな生き方が、他にあるものか。 中世インドのカースト制度、東アジアの儒教社会がそうである。 まったく、へきえきウンザリだ。 確かにその通りである。儒教思想、家父長制がそうである。 プライバシーと人権、人格の概念がないのである。 自分と他人との間に、境界線がないのである。 それがわからないし、理解もされない。日本も韓国も中国も、 数百数千年、ずっとそうであり続けてきたのである。 いまでも、そうである。 |