(  市)ルネサンスへ<2015-0619 ホロスコープ(万華鏡)、



6:外の世界。


ここで、話をもとに戻して、
仮に、世の中がホロスコープ(万華鏡)の中でできていて、
私たちは、その中で生まれ、育ち、暮らしている場合である。
このような人間が、このスコープの仕組みを知り、それが、
鏡(カガミ)であることを知るのは、いったいどういう場合だろうか。

第一に考えられるのが、
それが、外の客観的な現実として見える場合である。
つまり、スコープの外から、スコープをながめている場合である。
これは、文明開化後の日本が、アジアに進出ときである。
日本は、かつての自分を、進出先のアジアで見たのである。
そしてまた、そのことによって、自分をより深く知り、
感じることができる、立場にたったのである。

第二は、外からやってくる場合である。
スコープの仕組みを破壊するものとして、
外から衝撃が加わった場合である。破壊された部分から、
外の世界が見えてくる。外の世界の原理とか常識といったものが、
まったくの異質な、未知のものとして見えてくる。ということは、
自分たちが従っている原理も、どこにでもあるような、
たくさんある、いろんな原理の中の一つに過ぎないということが、
思い知らされる。150年前のペリーの来航が、そうである。

第三は、何らかの事情で、文明内部で破壊が起こり、
それまでの原理が通用しなくなる場合である。そして、
それにかわる、新たな原理が求められてくる。

ところが、文明を存立させている、地理や気候、
文化や生産の様式が変わらない場合、ないし、
変わりようがない場合。つまり、文化、
ないし歴史というのが、外部世界との接触が乏しく、
ほとんど閉じたままで進む場合、自分を意識する場面に欠ける。
新たな原理の必要も感じられない。閉じた世界である。

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