(  市)ルネサンスへ<2015-0710 (怪談) 目の中、



6:姿。


それは、自分自身の中にある、感覚の、
生理的な機能の特徴として、保存されていて、
そうした機能の不具合、もしくは障害として、
それが、現れている。だから、それが何かわからないし、
理由も、すがたも、何もかも、
いつまでたってもわからないままなのである。
知りようがないし、なんの手がかりもないままなのである。

そうした感覚の不具合がノイズとなって、目の前をかすめ、
わけのわからない呻(ウメ)き声となって、
魂の奥底から聞こえてくるのである。
魂(たましい)を引き裂いてくるのである。
そして、やがてそれが何かのしぐさや動き、
形やイメージとなって、象徴されるようになる。
自分の中にあった、なにか不可解なものが、
その姿を現してくる。

姿に、ならざるを得ないのである。
姿に、ならなければならないのである。
姿にならずして、それが何なか、
思いだすことができないのである。
また、思いだされることもなく、仮に、思い出されても、
それが何なのか知りようがないのである。
だから、どうしても、姿になるしかないのである。

古代の神話や儀式、絵画や彫刻が、
そうではないだろうか。

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