( 市)ルネサンスへ<2015-0724-a
5:理由。
すべてがつくりもの。感じ方や記憶、 感情や情緒といったものまでも、そうである。 そしてまた他人との接し方にいたるまで。 すべてが周りのみんなに合わせた、 「ヤラセ」のように思えてくるのである。 あるのは、まわりに合わせた協調性だけであって、 その中で、個人が理没したままで、 現れることがないのである。むしろ、 個人が窒息させられ、押し殺され、 まるで、あわ雪とかシャボン玉のように、 溶けて消えてしまっている。 自分が見えないし、消えている。 そして、それに気づくこともない。 それを、だれも、異様なこととも、 不思議とも思わない。そうした自分をみて、 何かを感じることも、気付くこともない。 ごくフツーの日常と思っている。 個人の消失といったものが、 集団の和の中で、キレイに溶け込んで、 あとかたもなく消えて無くなっている。 自分が誰かわからなくなっている。 自分の存在の「理由」といったものが、 もっとも純粋で深刻な、そして、 愕然とするカタチで求めれている。 |