( 市)ルネサンスへ<2015-0807-b-0814 夢の中、
9:アイデンティティー。
あるのは、気まぐれや思い込みの主観だけで、 これでは、自分自身というのを握りしめることが出来ないのである。 自己のアイデンティティーといったものが、どこかで切断されて、 自分自身といったものが見えなくなって、どうしょうもなくなっている。 本人が見つからないのだから、解決のしようがないのである。 まさに、こうした状況が夢の中の世界であり、 権威にすがる、テレビと新聞の世界であり、そして自分自身が、 手間ヒマかけずに得ようとしたものの正体なのである。 そのようにして得るものが大きいほど、自分にとっての、 失うものも大きいのである。 そして、深刻なのは、 だれもそのことに気づいていないということである。 あるいは、知らぬふり、見て見ぬふりをしているということである。 だれかが、ツケを払わされる。そして、このことだけは、 だれもそれを拒絶している。 自分自身といったもの、アイデンティティー(自己認識)といったものが、 常に自分たちの、外の世界に向けられていて、 つまり、海をへだてた大陸を通して、自分を見ていたのであって、 それが、自分の内部、個人としての、自分自身に対して向けられる、 といったことがなかったのである。だからまた、それが、 気まぐれや思いつきの主観性を抜け出ることができず、 自分自身の、客観的な普遍性を意識することがなかったのである。 |