(  市)ルネサンスへ<2015-0828-b 夢の中の人影、 



3:象徴。


そしてそれは、僕であって僕でない誰かである。
僕であるというのは、僕の心の中の苦悩の世界が
生み出した世界だということである。 それは、
僕の分身であるという意味である。

そして、僕でないというのは、僕の中で生み出され、
僕の分身として現れていたものが、僕のもとから去って、
それ自身で独立してしまったという意味である。
僕の意志ではコントロール出来ない僕とは、
僕とは別の存在になってしまった、という意味である。

そして、それはなにかというと、
自分自身の観念の世界で見いだされていた自意識、
現実の自分と対立する、観念の世界での自覚せざる
自己意識だったのである。それが無意識の苦痛として、
そのイメージとして現出したのが、先に述べた、
うつむき加減の恨(ウラ)めしそうな人影だったのである。

何か、現実に強い不安のようなものがあって、
それからの脱出を強く求めているように見える。
そうした自意識、つまり、現実の自己と観念の
世界の自己とが、強く対立し分裂した世界である。

閉じた目の中で見ている雲模様が、
その輪郭線の人影への移行は、
そうした自己意識の分離してゆく過程を表現している。
それは、自分自身というのが、肉体の現実から
観念の空想世界へ移行する過程を現している。
そうして、いやがうえにも自分というのが見せつけられ、
意識され、自覚させられる。まったく、困ったものだ。

夢の中の人影の「目」が見えず、そのために、
それが誰なのかいつも確かめられずにいる、
というのは、その人影の正体といったものが、
結局のところ、誰でもよく、そして誰にもある
という意味なのである。

それは、つまり、自己の精神の象徴なのであって、
そしてそれがまた、「不安」を意味しているとすると、
だれでもない、人間精神そのものを表現していると言える。

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