(  市)ルネサンスへ<2015-0828b 理想社会、


3、迷信。


自分というのが他人と比(クラ)べられ、比べられることによって、
自分がなりたっている。現実の日本社会がそうであり、
自分自身の考え方もまた、それを前提になりたっている。
そして、だれもそれに疑問を抱くこともないし、それが常識となっていて、
習慣となっている。何も考えることも悩むこともない、
それがあまりに当たり前の、ごく普通の日常なのである。
私たちは、そうした世界を生きている。そして、そのなかで、
自分を意識し、自覚しているのである。だからまた、
自分というのが限りなく見失われていって、当然なのである。

確かに自意識はあるし、その自覚も認識もあると思ってもいるし、
そう信じて確信もしている。しかし、実際にはそうした場面がない。
というのが現実である。そうしたきっかけとか、場面となるものが現実の
世界にないのである。ただたんに自分というのが、何か勘違いして、
そう信じているだけなのである。自分は自分をしっかりと握りしめていると
確信している。だがしかし、必ずしもそうだとは言えないのである。
本人がそう信じていることと客観的現実は別の世界なのである。

もしも、これが自由だといって与えられ、これがあなたの自己意識だと
いって教えられ、これがあなたの創造と自己実現の場であるとして
保障されるとすると、それはもはや自由でも、創造でも、自己意識でも
ない。それはもはや偽善であり、欺瞞であり、まやかしであり、
迷信というものである。それは、人間の本質に反するものであり、
自分を押し殺し窒息させるものでしかない。つまり、言いたかったのは
このことであり、これがまさしく今の日本の現状だということである。

 戻る。            続く。 

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