( 市)ルネサンスへ<2015-0828b 理想社会、
2、自己破壊。
つまり、内容といったものが限りなく空洞化していって、没個性化、 標準化、規格化して、つまり、現実のありのままの実体から遊離してい って、形式化、抽象化して、言葉だけのものになっている。 ことばだけというのは、頭の中で主観的に思い込むということである。 見るもの、聞くもの、触れるものの、そうした感覚といったものが、 そしてその意識といったものが、現実の実体から離れて、口先だけの ものになっている。自己の同一性が破壊されている。 肉体の感覚と意識が分離し、現実が虚構の妄想の世界と化している。 そして、そうした自己意識にあっては、より強く満足のいく実感を 得ようとするならば、より強力な形だけの外面の極端さを競うものと なるしかない。実際、そうなっているのが今日の状況である。 それは、人間の感情表現の言葉にも、そのときの顔の表情や仕草にも 如実に現れている。そして、コミニュケーション方法もそうである。 食べるもの、着るもの、聞くもの、話すもの、すべてにおいて、 目に見える形式だけが重視され、内容といったものは、 ほとんど無視される。あるのは外面(ソトヅラ)だけであって、 内面といったものは、あくまでも、どこまでいっても、ぼんやりして、 あいまいなままで、自分自身の考えといったものが、いつも、 ぼやけたままなのである。そんなわずらわしい、ワケのわからないものは だれもイヤがるのである。 だから例えば、消費者が購入する商品の価値判断においても、 非常にわかりやすい。「お値段以上」、「ワンランク上」、 「どこよりも安く」。いったい何を言いたいのか全くわからない。 言いたいこと、問いかけるということが、全くないのである。 これらの、スローガンの前提となっているのは、 すべてのものが「くらべられる」、という前提で成り立っている。 |