(  市)ルネサンスへ<2015-0911 カスミとボヤケ。 



2、社会システム。


目から見る、相手の顔面全体は、すべてほぼ同じ距離にあって、同じように焦点距離が合っているはずなのであるが、目だけがクッキリと見えて、その他はどうでもよい、あいまいな、輪郭のぼやけた映像として見えてくるのである。つまり、興味があるのは目だけで、ほかはどうでもよいというのは、つまり、主観なのであって、その意味で意図的で意識的なのである。こうしたことが、「ぼやける」という意味である。

そしてその見え方の特徴は、「かすむ」というのが、景色とその輪郭線が、背景の中に薄くなって消えてゆく。だから、景色の中の境界部分の輪郭線が最後まで残る。

これに対して、「ぼやける」というのは、景色中の輪郭線というのが、まっさきに、背景のなかで広がって消えてゆくのである。輪郭の色と線が周りに溶け込んで、混じり合って、広がって、同化してゆくのである。そして輪郭の線はこのぼやける途中で、すでに消失している。

だから、「ぼやける」というのは、見てはならないもの、見る必要のないもの、見えないもの、見えていないし、見ようともしないもの、見えていては都合の悪いものなのである。

そしてそれは、だれにとっても都合の悪いものであって、それがこの社会の暗黙の了解、前提となっているのである。社会とはシステムであって、それに合わないのは相手にしないのである。理解不可能などうでもよいものとして、無視するか、場合によっては排除するのである。

それは、すきキライとか、正義とか、良いとか悪いとか、そんなこととは何の関係もないのである。そんなことはシステムにとってみればどうでもよいことで、システムの預かり知らぬことなのである。

それは必然なのであって、バランスなのである。そうやってシステムは自己を保存し永続して行くのである。これだけがシステムの唯一の関心事なのである。人間の心情や善悪などが入って来る余地など、どこにもないのである。

 戻る。                お終い。

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