( 市)ルネサンスへ<2015-0918 感じ方、
9:精神のカタチ。
こうしたものの見え方、感じ方といったものは、現実から一歩引いたところに自分がいて、あるいは、現実の外から、現実を見ているのである。たしかに、現実と区別されるところに自分がいて、自分というのが現実と対峙している。こうした自分とは、現実とは違うところにいる自分のことで、自分は、自分の現実から離脱した意識の世界を生きてい
るのである。 自分というのが、現実の自分と観念の世界の自分とに分裂している。そしてそれが、自分にも意識され自覚される。精神の外面と内面、現実を生きている自分と、観念の世界の自分。肉体の感覚としての自分と、意識の思考としての自分。 自分というのが、際限なく分裂してゆく。現実というのが、自分とは別のものとして意識される。現実というのを、現実とは別の世界から見ている。つまり、現実というのを、現実でないものと、どこかで区別しているのである。 区別とは、区切り線であり、境界線であり、そしてなにかの輪郭線なのである。それは、それぞれにとっての異界なのである。異なる主体性、異質な原理や個性、そして、異質な自己の同一性と連続性の下に、それぞれが成り立っているのである。それが区別されるという意味である。 それは自分にとってみれば、他人のような現実であり、そしてまた、他人のような自分、つまり、自分を意識する自己意識である。自分は、他人としての現実から分離独立したのである。自己は、自分自身にめざめたのである。 自己と他者、そして現実との間に、神聖にして侵すべからざる精神の境界線が発見されたのである。現実を透過して、自分自身の精神の領域が見えるのである。そのすがたカタチが露わに特定されたのである。 |