(  市)ルネサンスへ<2015-0925 人権、



2 倒錯。


こうした社会ではシステム自体が、だれか見知らぬ偉い人の、「権威」によるシステムである。自分で自分を放棄した、権威に対する盲目的従順性が社会のオキテとなっている。

それは無言の不文律、戒律であって、この社会の絶対的強制力となっている。それがイヤなら、出てゆくしかないのである。学校も、企業も、地域社会全体がそうである。職にありつけない、だれにも相手にされない、収入が途絶え、孤独にさいなまれなが生きてゆくことになる。

イヤ、生きてはゆけない。生きてゆけなく出来ている。生きていてはならないように出来ている。そうやって、みんなのシアワセが保証されるのである。もちろん、この場合のシアワセとは、隷属と屈従、ペットないし奴隷としての、喜びである。そうした、実に倒錯した世界である。

世界中のすべての人々が、それが正しいと言っても、そうでないものは、やはり、正しくない、間違っているとしか、言いようがないのである。何度でも、死んでも、何度死んでも、正しくないと言うしかないのである。言わなければならないのではない。言うしかないのである。そうでないと、自分が自分でなくなってしまうのである。自分が消えてゆくのである。

 戻る。              お終い。

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