(  市)ルネサンスへ<2015-1120 「赤と白」 



1:自己主張。


だいたいから日本人好みの「色」というのは、淡(アワ)い、ぼやけたような色であって、極端に派手な色は好まないのである。たぶん、島国という、国土が狭く人間同士が常に接近していて、目立ったり、派手な色はイラついたり気が散ったりして嫌がられるのである。

さらにまた、服装が持つ他の目的、つまり、個人の自己主張というのが日本ではほとんどかえりみられない、というか、自己主張の必要そのものがない。反対に、紛(マギ)らわしく煩(ワズラ)わしいだけだと、見なされている。誰も変わったこと、目立つことはやりたがらないのである。それは集団の和を乱し、秩序を破壊するものと見なされている。実際、そうならざるを得ない、空間的・歴史的・文化的制約と前提の下に生きている。

島国という、空間的に狭く、そしてそれ以上に、歴史的に人間というのが、同じ場所で、同じ暮らし方でもって、昔からずっと数百数千年に渡ってここで生きているのである。だから、誰もがお互いのことをよく知っていて、たとえ初対面であっても、身振り素振りだけで、相手がなにを考えているのか分かってしまうのである。

コミュニケーションというのが、コトバ以前のこのようなお互いの身振り素振り、その場の空気や目の動き、気配などによって、誰にでもすぐにわかってしまうのである。日本人はそれを「空気を読む」などと言っている。それは誠にイヤラシく、自分たちだけで群れて、迎合して、仲間化して、そうやって、そうでない者を作り出して行くのである。他人に対する差別と妬みが「和の精神」のもう一つの側面なのである。しかし、いまはそれを無視して話を進める。

コミュニケーションというのが、このような「場の空気」でなされるとしたら、服装などによる自己主張などまったく無意味なのであって、煩(ワズラワ)わしいだけで、世間知らずのバカがすることのように思えてくるのである。つまり、「色」による自己主張などは不要で、それどころか集団の和と空気を乱すだけの、「ヨソ者」扱いにされてしまうのである。

だから、派手な色は日本では、あまり好まれないのである。赤と白の組み合わせが正にそうした、派手で極端な色の組み合わせなのである。

 戻る。                 続く。

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