(  市)ルネサンスへ<2015-1120 「赤と白」 



2:「象徴」。


白と黒だと、この黒は、白が限りなく暗くなったというだけで、結局、白も黒も同じ色なのである。同じ色が弱くなったり、強くなったりしているだけなのである。ところが白と赤だと、これは本質的に違うもの同士である。お互いに合い入れないのである。まやかしや妥協の余地がないのである。二者択一、YesかNoの世界なのである。そして、「赤色(アカイロ)」は迫って来る。感情として入って来る。意思や理性ではなく、言葉や理屈でもなくて、それ以前の感情として入って来る。

この赤と白の組み合わせが際立って派手で、極端で、そしてこの最も明白な組み合わせ以外のあらゆる色に対して二者択一を迫り、排除する。そうした最も排外的で厳格な色の組み合わせなのである。

それはつまり、言い換えると、最も明白に非日本的な「色」の組み合わせだと言えるのである。日本人はもともとこのような派手で極端な色は好まないのでる。日常の生活や常識、習慣においても、このような厳格さ、二者択一、Yes かNo だけというのを誰も望まないのである。それは日本人の感覚や生活習慣に無いものなのである。

考え方も、その意思表示にしても、そして群れて行動する場合もそうなのである。集団としての合意と協調性を何よりも重要視していて、心情や雰囲気、そして目に見えないみんなの「空気」というのを大事にするのである。

だから、赤と白の組み合わせというのは、僕にはどうしても不自然で奇異に映るのである。日本人は、このような派手で、極端で、自己中心的で、そして何よりも非妥協的な世界を、誰よりも最も忌み嫌うのである。それは日本的な和の世界から逸脱しているのである。

だから、この赤と白という色の組み合わせは、日常の個人や集団の意思を超えたところにある、何か永遠に変わることのない、普遍的な戒律みたいなものを感じるのであって、そしてそれを象徴しているように思えてくるのである。もともとからある日本人の潜在意識をイメージ化しているように思えてくるのである。

曖昧(アイマイ)でどっちつかずの、妥協と協調性でもって生きて行こうとする、そうした日本人の気質の奥底にあるもの、反対側にあるもの、影、潜在的なもの、そうした無意識の世界を象徴しているのである。

 戻る。                 続く。

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