( 市)ルネサンスへ<2015-1211 続、生物的映像。
6:方向。
感覚というものが、それ自体で持っている「情緒」とでもいったもの。 それは感覚と意識、外的自然と内的精神の接点であり、 交流の場とでもいったもので、それらが一つにつながって連続し、 統合され、まとまったものである。そうした状態が情緒であり、 このような、主観的情緒の世界から、外の世界を見ているのである。 肉体の感覚が、自分の外の世界を感じているのである。 無意識の状態で、意識することもなく、自覚されないままで、 自分の外の世界を見ている。では、この時、 私はいったい何を見ているのだろうか?祖先の記憶以外にない。 それが、情緒というものである。もっとも安定しリラックスした状態の、 自己の感覚の世界を見ているのである。 長い進化の過程で堆積され固まって、骨格となり、 安定しパターン化して、リズムとなり、バランス(調和)されてきた、 自己の感覚の最適化された状態を見ているのである。 そして、それが求め、指向してきた進化の過程と、 それが指向する、未来の方向性を見ているのである。 |