(  市)ルネサンスへ< 2016-0115 続、感覚。



6:宗教。


感覚それ自体では、いまだ自意識とはいえない。それはまだ、
感じるというのが、自分に対してなのか、他者に対してなのか
区別できないでいるからである。いまだ、自分と他者とが、
分離されて感じられないからである。

感覚が、感覚に対して、自(ミズカラ)らを感覚として意識する
とき、それは同時に、そうでないものとの区別をしていて、その
区別されたところに自分自身というのを感じているのである。

自分と他者が区別され、他者というのが明瞭なカタチで意識
されたのが、自分の肉体に対する感覚と、外の自然に対する
感覚の区別である。あるいは、意識される精神と、外の自然
環境に対する区別である。そして同時にまた、それは自分自身
というのを、自分の精神のなかに見ているのである。

だから、このような精神と肉体の分裂、自己と他者への分裂、
あるいは、自分は他人と違うという意識が、何らかの信仰ないし
衝動として、意識のなかに映し出されてきて、それが現実の
イメージとして定着したのが宗教ではないだろうか。

宗教を通して見る神の姿に、自分自身の中にあるもう一人の
得体の知れない自分自身を見ているのである。自分で自分の
心の中を見ていて、自分で自分を意識しているのである。
自分の中に住んでいる他人を意識いるのである。
自分の中にある自意識を見ているのである。だからそれは
悪霊であってはならず、崇高な神でなければならず、祈りと
救いでなければならないのである。 

 戻る。               お終い。
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