( 市)ルネサンスへ<2016-0212 風土の情緒、
4:様式。
祖先の記憶とは、自己の無意識の感覚、あるいは、感覚の感覚 とでも言えるものである。それは、感覚が意識を無視して、 ひとりでに習慣化し、条件反射化し、パターン化・様式化された、 「感じ方」である。感覚自体が、自分自身でその感じ方といったものを、 特殊化し、最適化し、様式化させてゆくのである。だからそれは、 自分でも意識されることのない無意識の世界、あるいは、 肉体の記憶とでもいったものなのである。そしてまたこうしたことが、 雰囲気や気分、情緒の根底にあると思えてくるのである。 それは理屈でも、思考でも、意識でも、あるいは言葉でも、 とらえることが出来ない。そうした、観念の世界ではないのである。 それ以前の、感覚の感じ方の次元なのである。感覚から意識が 分離される以前の、感覚の感覚に対する感じ方なのである。 そして、こうした感覚の感じ方こそが、自然で本来ありうべき感情や 精神的状態、「情緒」といったもので、そうした「空気」や雰囲気、 気持ちのうちにこそ、本当の意味での信頼や信仰、正義や礼節と いったものが生まれてくるのであり、成り立ち得ると、思えてくるのである。 そして、自覚され、確信もされてくるのである。 世の中のルールやマナーが、当然の、疑うべからざるのものと思えてくる のである。もちろんそれが、真実に正しいかどうかは、まったく別の問題 なのであって、注目すべきは、そうやって社会というのが成り立ち、 誘導されて行く、ということなのである。 それぞれの民族の政治やシステムは、このようなその民族特有の 無意識の信仰、ないし「情緒」を通してしか理解されず、また、 受け入れられることもないのである。 戻る。 お終い。 |