(  市)ルネサンスへ<2016-0212 風土の情緒、



3:必然。


たしかに、こうした情緒といったものは、気まぐれ、気分しだい、
思いつき、自分勝手そのもので、偶然とわがままだけが支配している。
しかし、そうした気まぐれな偶然といったものは、個人レベルで「情緒」
を見た場合であって、もしも、それを社会全体のレベルで見ると、
まさに、システムの必然としか言いようのない、現象である。

様々な個人の気まぐれや偶然、その気分や感情表現、そして、
情緒的特性といったものは、徹頭徹尾、その時代、その社会の
システムの結果として現れている。その原理や秩序の必然の結果
として形成され、そしてそれが、その社会、その時代の特有の情緒の
あり方として維持されているのである。そしてまた、それが保存され、
継続されてゆくのである。

そして、それを条件づけているのが、風土なのであり、言いかえると、
その民族が生きている、そして生きてきた自然環境なのである。
そしてもう一つは、民族が、自己の肉体のなかに宿っている、
祖先の記憶としか言いようがないのである。

イヤ、むしろ反対で、風土としての「情緒」が、社会のシステムを
作り出したと考えるべきかも知れない。
民族がその下で生きて来た自然環境と、そのなかで形成されてきた
情緒といったものが、社会のシステムを作り出したと考えるべきかも
知れないのである。情緒にしても、社会システムにしても、そしてまた、
それらの舞台となった自然環境にしても、それらは本来、一体のもの
で、分けて考えることができないものなのである。

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