( 市)ルネサンスへ<2016-0219 感覚。
5:現実。
なぜならそれは、祖先のかつての記憶が実体化したものなのであり、 祖先が生き、行動した結果が、肉体の感覚器官として結実し、 保存されたものだからである。かつての祖先が目指したものが、今、 目の前の現実のカタチとして、自分の肉体の感覚として残されている のである。 無視することも、逃げることもできない、それどころか、 現に生きている自分の身体(カラダ)の一部分として、生きて機能して いるのである。つまり、逃げることが出来ないのである。まさしく、これが 自分自身のことなのであって、こうした自分の肉体でもって生きてゆく しかないのである。 自分の肉体にはじめから備わっている機能や役割り。 そして、それを実際に動かしている肉体のカタチと、その仕組み。 そしてそのシステムの生理的特徴といったもの。 そしてまた、その時間的変化の様式といったものは、 自分自身のなかにあって、自分を動かし、自分を支配している 生きた現実なのである。このような現実をはなれて自分というのは 存在せず、こうした生きた肉体の現実の中でのみ、 自分自身というのが存在し続けることができるのである。 それが、すなわち、自分の中で生きている祖先の記憶であり、 自分自身の肉体の理由なのである。感覚がそれ自身で見ている、 感覚の感覚に対する世界なのである。それはまた同時に、 自分自身がいま生きている、現実の世界なのである。 戻る。 お終い。 |