(  市)ルネサンスへ<2016-0318 指向性、



~6:導き。         


だから、自己というのが、自分の本来あるべき姿を求めて、
さ迷っている状態なのである。
つまり、外(ソト)へ出て行かなければならない。
越えてはならない一線を越え、境界線を乗り越えて、
殻(カラ)を打ち破って、外へ出て行かなければならない。
それ以外に、無いのである。

そして、それを強烈に示唆し暗示しているのが、
イメージなき夢の世界。目を閉じたときに見えるマダラ模様の世界。
どこへ行くアテもなくさ迷い続ける、内閉的であいまいな、
一人ぼっちの世界なのである。

しかし、それでもなお、
なんらかの指向性とでもいったものが残っている。
本能とか本性とでもいったものである。
自己の原理とでもいったものである。
それが無くなれば、自分と他人の区別がなくなって、
自分が自分で無くなってしまう。
だからそれは、自分が自分であることの証明のようなものなのである。
そうした「何か」が、残り続けるのである。

それは、自分自身のなかにある指向性のようなもの、あるいは、
自己のなかで生き続けている「必然性」とでもいったものである。
自分は、自分であることを止めるわけにはいかないのである。
それは、自分が自分であることの証明なのである。
歴史的にも、文化的にも、そして肉体的にも。
時間的にも、空間的にも、そして現実的にも。

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