( 市)ルネサンスへ<2016-0325 目の中、
~4:<つながる線>
目の中の、マダラ模様の暗い影の世界から、 薄灰色の、ゆがんだ白い線が複数強調されてきて、 それらがつながって、閉じて、その中から表面が見えてくる場合。 しかしまた、そのつながり方が様々である。つながりながら 何にでもなるし、何にでも変わって行くのである。 うつろい、映り、現れては消えてゆく。 途切れては繋(つな)がり、拡がって行っては薄れて溶けてしまったり 反対に、濃くなって呑み込んで行ったりもする。 そして、そうしたことが常(つね)に変化し、 うつろい、現れては消えてゆくのである。 だから、それが象徴するものが、いつまでたってもわからないのである。 映し出された表面の模様とか映像の意味が わからないのである。なにがなんだかワケがわからず、 もしかすると、映し出され現れ出た映像に、もともと、 ワケなどないのかも知れないのである。 そしてそれ以上に、情緒というのが切迫しておらず、 追い詰められてもいない。自分が壊れてしまいそうに感じられる こともない。いきなり、線が広がり象徴に変わるといった、 そんな衝撃的な場面ではないのである。 それよりも、なにが何だかわけがわからない、というのがこの場面の 始まりなのである。これが、線がつながって後に表面となり、 すがたとなる、イメージなのである。 そして、その姿とか、情景が象徴するものが、 最後までわからないといったことも、よくあるのである。 目が覚めたあとで、はたして、あれは何だったのだろうと、 思い起してしまうのであうる。そうした、どうということのない、 どうでもよいような、夢の世界である。 それは、輪郭が意味するところがわからず、だからそれを、 自分で構成しようとしているのである。 でも、それがうまくいかないパズルのようになっているのである。 そして、だからまた、わけがわからず、悩みもし、はっきりせず、 すっきりしないのである。思い出しても印象が定まらず、 それが何にでも思えて来るし、見えてもくるのである。 何かの忘れ物のように。すでに失ったものを見つけようとしている、 そう思えてくるのである。 戻る。 お終い。 |