( 市)ルネサンスへ<2016-0415 (続)早春、
~7:白い空気。
この限りなく透明に近い白色の世界。それは空気の色である。 そしてこの、空気の色が人々を支配している。どうにもならず、 どうしょうもなく、わけもないまま惹(ヒ)かれてしまうのである。 自分というのが、意識されることのないまま、白い色に呑み込まれて 行く。空気が世界を支配していて、そしてこの春の日の空気の色が、 「シロ色」なのである。 シロ色の空気は、大気中にただよう水の色、生命の始まりの色、 穏やかな春の陽気がもたらした、空気の色である。 この限りなく薄いしろ色の空気を通して、私たちは世界を見ていて、 そして世界とかかわりあっている。それはまさしく、自分自身の精神の あり方であり、それを包んでいるものであり、自分自身の情緒そのもの なのである。 春の日々の空気の白さは、これから開き、広がってゆく、少しまぶしく、 明るい白さである。まばゆい、触れる肌のここちよさの中で、自分が 世界のなかへ同化してゆく。そんな優しく親しげな明るさである。 これに反して、例えば秋の空気の色は、灰色混じりの透明な青さ、 ないし白さであって、透明で遠ざかってゆくような、そして閉じて沈んで ゆくような、そんな色である。 水色は秋の空の色でもあって、乾燥していて透き通るような薄い 青色である。そしてまた、夏から冬への弱くなってゆく太陽の陽光の 灰色でもある。それは灰色まじりの水色の世界である。だから理知的 であっても追憶まじりの、何かを省(カエリ)みて仰ぎ見るような色である。 と同時に夏の記憶の薄れゆく、そんなやるせない色でもある。 戻る。 お終い。 |