( 市)ルネサンスへ<2016-0415 (続)早春、
~6:感触。
春カスミを毎日見かけるのは市街地ではなくて、郊外である。 もっと正確に言うと、野原とか山々、川岸などである。 なぜか? 地表から大気中に水分が供給され続けるからである。 植物が覆(オオ)う、湿って、じめじめした山野から、水分が供給され 続けるからである。だからほとんど一日中、風景というのが、 かすんで見えて、とばりの中で靄(モヤ)がかかったように見える。 まず、直射日光の当たる場所に弱いキリ(=強いカスミ)が発生して いる。これが日光の角度と、弱い上昇気流によって、移動しながら、 地上を覆(オオ)っている。これが春霞(ハルカスミ)の正体である。 霧(キリ)というほどの濃いものではないが、地上の景色がうすぼんやりと、 かすんで見えるのである。非常に薄い雲が、地表面上に立ち込めて いる。フタをして覆っている状態なのである。 人間の目と景色とのあいだに何かが入ってきて、うすぼんやりと閉ざし ている。風景全体が少し白っぽく見える。人間の精神の中に、 何か白い半透明のものが入ってきている。白とは、水であり、生命で であり、そしてまた、春の日の、おだやかな日差しなのである。 そしてそれは、自分の肌に触れる、ここちよい、優しげな肉体の感触 なのである。それは自分自身の肉体がおぼえている、優しげな春の 日々の記憶、意識されることのないまま受け継がれてきた、肉体の 記憶なのである。 戻る。 続く。 |