(  市)ルネサンスへ<2016-0422 春カスミ。



~4:東アジア。

東アジアのアイデンティティーは、ヨーロッパとは対照的である。
有史以来、民族も国境もほとんど固定したままである。
このような世界では、自己というのは同一であり続けるしかない。
その原理も、根源も、自然環境もそうである。ということは、
アイデンティティーが意識されることがない。その必要もない。
発展ないし変化のキッカケとその必要が存在しないのである。
ずっと、ずっと同じことがくり返される。そして、それを正当化し、
定め、固定化したのが、儒教思想である。

だから、アイデンティティーとしての、自己の一体性・連続性といったものも、
歴史的・地理的概念であるといえる。それは、絶対的なものでは
なくて、時間的・空間的概念、思考の産物に過ぎないということ
である。そして、この思考というのが、人間だけが持つ、特徴なので
ある。

つまり、人間の思考や意識、感覚自体がすでに、歴史的・地域的
概念であり、そしてまた、時間的にも空間的にも、制約され、
方向づけられ、定められている。自然環境や、自分自身の肉体の
生理作用に支配されているのである。もちろん、それを概念として
カタチ作ったのは、郷土の自然環境であり、自分自身の肉体の感覚
なのである。

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