(  市)ルネサンスへ<2016-0527 カスミの風景、



~5:切断された精神。

すべては、自分が求めてそうなったものだ。
他人がとやかく言うことも、言えることでもない。自分のことは自分で
責任を取る以外にないのである。にもかかわらず、自分のことを
他人が責任を取ってくれるものと、なにか勘違いしている。数百
数千年、そうやって飼いならされてペット化・奴隷化されてしまって
いるのである。ここでも日本社会の根本原理が貫(つらぬ)かれている。
「権威に対する盲目的従順性と、集団的協調性」がそれである。

自己の同一性といったものが、どこかで切断されている。というよりも、
それ以前に、自己意識というのがいまだ確立されず、個人というのが
自立することなく、自己の精神というのが集団の中で区別されること
なく、なじんで溶けて無くなっている。
それに気づかず、気づく必要もなく、気づいてもならず、気づくことも
ないように、社会のシステム全体が仕組まれ、プログラムされている。
あー、やはり「島国」なのか!閉じた世界なのか・・・。

ことばの論理で作られた観念の世界を、現実の世界と勘違いして
いる。このような世界では、自(みずか)らが現実を知ることはない。
現実はいつも他者(偉い人)から、自分の精神へと入り込んでくる。
自意識というものが、いつも他人からの借り物であり続け、
自分自身とは別のものである、ということに気づくことがない。
イヤ、気づいてはならない、そういう世界なのである。

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