(  市)ルネサンスへ<2016-0610 ぼやける、



~3:見え方の理由。

そうしたことは、自分にとって見れば、見えて来なければならないし、
見えるはずだし、見えていなければならない、実際に「有るはず」の
ものだからでる。しかし、「有るはず」とは予見なのであり、実際には
まだ見ていないのであり、つまり自分の偏見なのである。

自分というものの感じ方が作られた、社会的な暗黙の合意事項や
常識でもって、現実を見ているのである。あるいはまた、これを
個人的に見れば、自分自身の限られた経験や記憶に基づく主観、
つまり、個人的な思い込みと気まぐれの結果なのである。

こうしたことは多かれ少なかれ、見る側の思い込みとか感じ方といった
ものが、ものの見え方、考え方に大いに入り込んでくる。それと意識
することなく、知らず知らずのうちに入っている。そうした意味で、
「ぼやけて見える」というのも、主観的である。

そこには、レンズ(水晶体)のピント合わせと、その方向、そして有効視野
の調整が、本人によって行われているからである。人間の感覚は、
それを意識せずに行っている。肉体の生理作用として堆積されて
きた無意識の肉体の記憶が、それを自動化しているのである。
これが、ぼやけるという見え方の理由となっているのである。
ピントに合わないもの、視野からズレているものは、ぼかして見えなく
しているのである。

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