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躾(しつけ)や習わし、習慣、作法といったものは、その社会の文明や文化の根底にあって、論理的根拠や自己認識などとは別の、自らの生存の現実的な要請から生み出され、形成されてきたものである。 なぜならそれは、正当な合理的根拠があろうとなかろうと、それらとは関係なく、そこで生きる者がどうしても守らなければならない、シキタリやタブーといったものだからである。それは、そこで生きる者にとっての暗黙の了解事項であり、社会的合意の前提なのである。 だからそれは、問うたり、疑ったりしてはならない、暗黙の絶対的な掟(おきて)となっているのである。そうやって、その社会が維持されてきたのであるし、そして今も維持されていて、そして将来も、それが維持される保証となっているのである。だからそれは、どうしても守らなければならない、もっとも基本的な前提になっているのである。 |
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