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2、不文律。

論理や思考などとは別の、それ以前の、肉体の生きた生理作用の型(パターン)としてそうなのである。それは意識が届くことがない感覚の、際限なく繰り返されてきた身体のリズムとしてそうなのである。

だからまた、それが絶対的なのであって、そして自分たちが無条件に守らなければならない、オキテやタブーとなっているのである。そしてまた、オキテやタブーに成り得るのである。オキテやタブーそのものが、このような論理や思考以前の、肉体そのものの絶対的な強制力として作用しているのである。

たとえ法律で何かが決められても、それを運用する人間の頭の中では、このようなシキタリやタブーといった「常識」に基づいて執り行われるのである。そうである以上、やはりそれは無言で不文律の絶対的強制力であると言わざるを得ないのである。


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