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3、誘導。

従ってそれは、何かの理由とか根拠といったもの以前の、自分たちが本来持っている宗教や信仰から来ていると思えてくるのである。それ以外の原因というのが、どこにも見当たらないのである。

そうした無意識の世界の中で、自分でも意識したり気づくこともなく、誘導されているのである。知らぬ間にそれへと導かれながら歩み続けているのである。まるでそれしかないように。そしてそれが、自分にとっての願い求め欲するものとなっているのである。自分が信じる行動の基準になっているのである。

それは、自分たちが信じていて、そして信じようともしていることなのである。あるいは、信じざるを得ないもの、信じるしかないものであって、また、そうしてのみ自分自身を律し得るのである。自分自身に対して納得もし、安心し、そうして了解するのである。

しかしまた、これが無くなれば、自分が誰か分からなくなるし、自分が生きている意味を見失ってしまう。だからそれは、論理や理由以前の自分たちが信じるもの、あるいはまた、信じようとしているもののことなのである。つまり、これが宗教ないし信仰なのである。


戻る。                      続く。


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