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1、偶然。

「偶然」といっても、それは外から見ると「必然」なのである。それはちょうど、主観というのを、他人は客観的に見ているのと同じである。自分が主体という自分の立場から離れて、外から自分を眺めて見ると、自分というのが他人のように見えてくるのである。

それはただ、自分が拠って立っている立場を反映したものに過ぎないのである。そうした自分が生きている背景から浮かび上がってきたものに過ぎないのである。

しかし、それがそのように「感じられる」というのは、それぞれ別のことが、触れて感じて心が入り混じり、錯綜し、そしてどこかで通じ合っているのである。自分と相手の、心の中のどこかに、それに反応する何かがあったのである。

そしてそれは、すがたカタチを変えて、どこへも、だれに対しても入ってくるのである。なぜなら、相手も自分も同じ「人間という種」であって、それぞれが同一の原理の下に生きているからである。そして、これをもって同じ人間として知られているからである。


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