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しかし、こうしたことは、意識の届かない感覚のレベルや、感覚相互間の無意識の世界では、たしかにつながっている。あるいは、つながることによって、それらが呼び起こされ、途切れ途切れの記憶の断片として思い起こされているのである。 だからまた、いつまでたっても、それが何のことなのか分からず、理由が不明のままで、何かの印象だけが記憶に残っているのである。しかしまた、そうやって観念化がなされているのである。自分にとっての現実の世界というのが、意識されているのである。 現実世界というのが、目に見えないところで、すなわち、自分自身の観念の世界の中で抽象化され、カテゴリー化され、そうやってそれらが繋(つな)がりを持った、秩序ある世界として理解されてくるのである。それは秩序が必要なのであって、そしてもしも秩序がないとすれば、それはもはや認識できる世界でもなく、観念とは言えないのである。 |
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