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これは偶然が結び付けたものではあるが、しかしまた、人間には、そのようにしか理解できないということなのである。それが果たしして何なのか、知らないものだということなのである。そして、それを知る方法がないということなのである。 だからまたそれは、すでにあるもの、すでに知られているものを通して理解するしかなく、似たもの、近くにあるもの、連鎖しているもの、連続しているものとして捉(とら)えようとするのである。 そうである以上、それは錯覚なのであって、それは何らかの偶然が呼び起こしたものなのである。しかしまた、人間は、そうやってしか、それを知る方法が無いのである。そうした意味でこれは主観なのであって、思い込みであり、気まぐれの偶然なのである。 しかしまた、そうしたことの果てしのない繰り返しと堆積が、その結果として、不要なものや無意味なもの、他人取ってみればどうでもよいことを消し去ってゆくのである。そしてまた、そうしたことが客観性や普遍性の土台となっているのである。 |
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