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異なる別々の印象のそれぞれが無関係で、そうした印象や出来事といったものが、どこかで互いに関係していると思えてくる。どこかで何かを錯覚しているのである。そうしたことが暗示や印象、抽象化などとして意識されてくる。 しかしまた、それ以前の無意識の感覚や生理の作用としても、自分の中で感じられてくることがある。情緒や気分のあり方としてそうなのである。生理の作用と感覚相互間の、自律し、錯綜し、混沌とした、それら全体が混じり合った結果として、意識に反映されているのである。 しかしまた、だからこそ暗示や抽象にしかならないのである。そして、そうしたことが自分の無意識の底にあって、自分を動かしコントロールしているのである。 |
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