index< 日誌 < c信じるもの < 21-07「錯覚3」 |
そうして、見える現実のすべてが、なぜか「まやかし」と偽りの世界のように思えてくるのである。確かにその通りで、現実というのは外面だけで、中身はカラッポの、意味というのを喪失した世界のように思えてくるのである。 もちろんそれは私個人の、思い込みと主観と偏見の世界ではあるが、しかしまた自分は、この現実の世界を生きているのである。そして、このような混乱した思い込みといったものは、この現実世界を反映したものに他ならないのである。私個人の気まぐれといったものは、このような現実世界が映し出した気まぐれの、小さな一部分なのである。 すなわち、現実という定まった秩序や常識というシキタリの壁の外の世界なのである。従ってまた、だから、いつまでたってもワケが分からず、何も意味がないもののように思えてくるし、不可解で、不思議で、奇妙な、現実にあり得ない、そうした空想の世界のように思えてくるのである。 |
index< 日誌 < c信じるもの < 21-07「錯覚3」