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3、疑惑。

しかしそれは、空想とも異なる。空想はたしかに支離滅裂ではあるが、しかし、それなりに脈絡や筋道みたいなものがあって、何らかの物語りとして成り立っている。そうした自分自身の中の思考が作り出したものなのである。しかし、いまここで述べようとしているのは、そうした思考以前の、物語りになる前の世界なのである。

見える現実の刺激そのものを言っているのであって、そしてそこから何を感じたかを問われているのではないのである。「刺激」そのものを問うているのである。そうした自分自身の感覚の感じ方そのものに疑いを抱き、そしてこれを問うているのである。自分自身の感覚に対して、果てしなく際限のない疑惑を抱き続けているのである。

だから、何を見ても聞いても問うても、それ自体に意味などあるはずがないのである。この場合、その意味そのものを問うているのだからである。不思議な違和感と、非現実のあるはずの無いものを見ていると感じてしまうのは、このためなのである。


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