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そして、そうしたことが、なぜか日本を含めた東アジアの映画では、「驚き」という表情が、たいてい前者の怯(おび)えと戸惑いの表情でもって表現される。内面が見えないのである。あるいは、もともと内面というのが無いのである。 西洋キリスト教世界の映画では、驚いたときに、もちろん怯えの表情もあるが、反射的な闘争直前の身構える表情も多々見られるのである。では、いったいどこが違うのか? 要するに、「信じるもの」がもともと違う、ということなのである。 儒教という、他人に対する束縛でもって秩序とし、そしてその中に自分を見い出している世界と、キリスト教という、自己の精神の中に自分を見い出している、そうした世界の違いなのである。 |
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