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3、儒教。


儒教では、自分で自分に問いかけるといったことが無いのである。自分という自意識が、自分の中に存在しないのである。それは自分たちという他人との関係の中でしか存在しないのである。また、そのようにしてしか、自分には理解の出来ないものとなっているのである。

個人というのが自律せずに、個人というのが、自分たちという集団の中にしか存在しないのである。自分が自分の中で、自分に対して自立するということがないのである。つまり、自分で自分を意識する自己意識というのがないのである。

そして、こうしたことが、「驚き」とその表情に現れているのである。それは東アジアではおびえや当惑として、そして西洋では、それに加えて内省的となり、個人主義的になっているのである。キリスト教世界において、精神が自律する傾向がそうなのである。


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