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いままで述べてきたこのような考え、人が「目を剥く」というときの、そうした場面に対する説明ないし理由づけ自体も、実のところ私(筆者)個人の個人的な主観ではないか。 自分勝手で主観的な思い込みの、思いつきや気まぐれではないか。まったくその通りなのであるが、しかしまた、このような個人的な主観自体が、それはそれとして主観という客観的な一つの事実なのである。 そして誰もがこのような自分勝手な主観というものを持っていて、そしてこの誰もがというというとき、それはどこかで誰もがつながり合っていて、そしてこれが、このような主観というのを客観的に見ているのである。 主観というのが、客観の限りなく小さく分割された一つの小部分となっているのである。客観ということ自体が、このような無限に広がる主観の全体を意味しているのである。 |
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